プロフィール

始まりはSalon d'Alsaceから

その1 2013年2月

TOP(Tsukuba Olive Project)

 

つくばで平和と繁栄のシンボルのオリーブを育てよう!

                                                 つくばに研究学園都市が構想されて50年、半世紀がたちました。自然に囲まれた科学の街も形になり、定住する人も増えてきました。私も学園地区に住んで30年になります。

生まれ故郷の筑波山もTXのおかげで観光客が増えました。

しかし、山の上は老人ばかりの限界集落で、コンビニもありません。 大地震の影響で石垣が崩れ、空き家も増えました。

また、猪が増えて、昼間でも歩き回り危険な状態です。

学園都市の中心部との格差は広がるばかりです。

筑波山と学園地区を何とか結び付けたいと長年考えてきました。

 

筑波山は「福来みかん」の産地で、子供の頃から親しんでまいりました。 皮が珍皮として七味唐辛子に使われますが、 白い小さな花は、6月ごろさわやかな香りを放ち 種の多い果肉も思い出の古里の味です。 

 筑波山の南斜面は逆転層の影響で、特に標高220m付近は温暖な気候です。 関東ローム層で、霜柱が立つつくば市内とは大分違います。

  「みかんの育つ所にはオリーブも育つ」            オリーブで有名な小豆島の井上誠耕園のホームページに出ていました。一方、学園地区の住宅地を見てみますと、庭にオリーブの樹がある家が結構あります。たくさん実もなっている事も分かりました。昨年は、友人がその中の1本から3キロほど頂いて塩漬けにしました。

レシピは、その友人の四国に住む義父で元大学教授の方に提供していただきました。 何人かに試食していただきましたが、凄く美味しい!

 

315日はオリーブの日です。オリーブの植え付けには3月から4月が適しているとのことです。今年はベランダにあるオリーブの樹2本を試しに筑波山の家の裏に植えてみます。まだ実が残っていて毎日ヒヨドリが来てついばんでいますが....

 夏には小豆島に行ってオリーブ栽培の話を聞いてこようと思います。 苗を選んで来年はもっとオリーブを植えてみよう!

オーナー制度を利用すれば、学園地区に住んでいる人も筑波山に足を伸ばしてくれるかもしれない!

オリーブが十分に実るまでは、学園地区の住宅地で実を摘ませてもらおう!

平和と繁栄のオリーブで、筑波山と学園地区を結び付けたい!

一緒にオリーブ収穫祭をすれば福もやって来る!

福来みかんとオリーブを筑波山の名産にしたいな!

 

と、妄想を抱いております。

その2  2013年3月

TOC(TSUKUBA OLIVE CLUB

 

オリーブの日

 

3月15日はオリーブの日です。1950年のこの日、昭和天皇が小豆島にオリーブの種を植えられたそうです。

日本でオリーブが育つのが確認されたのが1910年、かれこれ100年経ちます。

地中海原産の植物ですが、瀬戸内海を旅すると、島々の南斜面にオリーブ畑が広がり、静かな時の流れを感じます。

青空の下、降り注ぐ太陽にきらめくオリーブの葉は銀色に輝き、それでいて力強い樹形は美しく、人々を元気づけてくれます。まさに平和と繁栄のシンボルです。

バイブルでは、大洪水の後、鳩がオリーブをくわえてきたことからノアは雨が上がり地上に平和が訪れたことを知りました。

古代ギリシャでは、オリンピア-ドの勝者にオリーブの冠が贈られました。

国連の旗にもオリーブの枝のモチーフが入っています。

その美しさと象徴性の高さから、庭にオリーブを植える人も増えてきました。

オリーブを使った製品には、オリーブオイル、オリーブの実の塩漬け、オリーブリーフティー、オリーブ石鹸などがあります。

瀬戸内海にはオリーブを使った食品も多く作られています。

ガーデニングの愛好家も、オリーブ好きが増え、収穫して楽しんでいる人たちもいます。

また、絵皿やトールペイント、ステンドグラスなどのハンドメイドの作品のモチーフに使われたり、絵画や彫刻などのアート作品にも登場しています。

見て美しく、育てて楽しく、食べて美味しい。

オリーブは、平和(PEACE)繁栄(PROSPERITY)に加えて喜び(PLEASURE)をもたらしてくれます。

 

オリーブオイルとの出会いは、はじめてヨーロッパに行った時、ギリシャでサラダにかけたものでした。

正直、あまりおいしいとは思いませんでした。その後フランスで暮らしたときに、その独特の風味に自然と馴染みました。

近年、健康食品として大いに注目されています。コレステロール値が高い者にとっては手放せません。

オリーブの実については、塩漬けが売られています。南仏のマルシェでは、目移りしてしまう程様々な塩漬けオリーブが売られています。

日本では、ほとんどが輸入物の缶詰か瓶詰で、美味しいと思うものにはお目にかかれませんでした。

小豆島のオリーブの塩漬けも11月に作られて、賞味期間は2カ月とのこと、美味しいオリーブはつくばでは手に入らないとあきらめていました。

ところが昨年一つの嬉しい出会いがありました。

 

 

故郷、筑波山とつくば、少しだけアルザス

 

私は、生まれも育ちも筑波山とその周辺で、今もつくばに住んでいます。

少しだけフランスのアルザス地方に住んでいたことがあります。

アルザス地方は、フランスの東北部、ライン川がドイツとの国境になっています。

有名なワイン街道の丘陵地帯に筑波山に似た小高い山があり、私は「アルザス筑波」と呼んでいました。

帰国後、改めて生まれ故郷の筑波山を眺めていてアルザスの青い空と南斜面のブドウ畑を思い出しました。

南斜面にある実家は、何年も空き家になっていて、庭も荒れ放題、何とかしたいとずっと思ってきました。

アルザスのようにブドウ畑にでもしたいけど、栽培はとても手間がかかるし、資金もない。

そんな話をしていた矢先、四国出身の叔父が、「オリーブがいいんじゃない?」

「ミカンの育つ所にはオリーブも育つ」(井上誠耕園HPより)

 

その後、友人たちにオリーブの話をすると、その日の午後、その中の一人からご近所でオリーブを3キロ採らせてもらったとのメールが入りました。

10日程経って、彼女がオリーブの塩漬けを持って現れました。

そのオリーブの美味しかったこと、これぞオリーブ!

素晴らしく美味しかった!

友人たちも口々に絶賛しました。

そのレシピは、彼女のお義父様、香川大学名誉教授で、農学博士の鈴木裕先生のものでした。

彼女によれば、四国ではオリーブは、生垣などにも使われていて、この辺の山栗拾いの感じで摘まれ、塩漬けにされるとか。

鈴木先生は、このレシピを喜んで提供してくださり、皆さんに広めたいというお気持もお持ちであるとのこと。

つくばでも美味しいオリーブが食べられるかもしれない!

周りの住宅地を見回すと、ガーデニングの流行もあって、つくばの街中でもオリーブの木が育っており、実がなっているところもあります。

これを見逃す手はない。

 

TOC

 

そこで持ち上がったTOC(TSUKUBA OLIVE CLUB)

つくばで、オリーブを育てよう!

筑波とつくばでオリーブを育て、筑波とつくばの交流を深め、古里にPEACE(平和)、PROSPERITY(繁栄)、PLEASURE(喜び)の3Pを!

筑波山の黄金色の福来ミカンと、銀色に輝くオリーブの葉で訪れる人を楽しませ、交流を深め、平和と繁栄の里に福も来ますように!

 

その後、市街地を見回したり友人にオリーブの話をすると、結構大きくなったオリーブの木があることがわかりました。

また、鈴木先生からも小豆島のオリーブの専門家の方を紹介していただけるお話があったり、ひょんなことからご近所の四国の果樹試験所にいらした方とお知り合いになったりしました。

オリーブに関するアート作品を作れる方や、オリーブを使った石鹸アートやカードつくりの専門家の方など、人の輪もだんだん広がってきました。

 

 

筑波山、福来ミカンの思い出

 

4歳まで筑波山の中腹で暮らし、今のつくば市のセンター地区を毎日上から眺めていました。

庭には福来ミカンの木が3本ありました。他には、梅の木、柿の木、ビワの木、ザクロの木、桃の木等。

今残っているのはビワの大木が1本だけです。

秋になると、福来ミカンが色づき、大人たちが梯子をかけてかごに何杯も採るのを下から見上げていました。

「ほら」と小さな手に手渡されると、嬉しくてしばらく石段を上り下りして大人たちに見せびらかしてはしゃいでいました。

「食べていいんだよ。」と言われて、むいてみると、白い筋もスーとはがれ、ひと房が小さい!

口に入れると「ちゅっぱい!タネばっかり!ぺー!」やっぱり持って遊んでいるほうが楽しかった。

「皮はかごに入れといて」と言われて、梅干しを作る時の平かごに入れました。

後日、七味トウガラシを作る人が物々交換で、その干した皮、陳皮と引き換えに七味トウガラシを置いていってくれました。

筑波山に住む人にとっては福来ミカンの皮の陳皮は、薬味として重宝に使われ、漬物、煮物、みそ汁や大根おろしにも振りかけます。

上品な香りで、何にでも合い、近年は、和菓子やケーキ、クッキー、ジャム、ジュースなどの商品開発も進んでいます。

初夏に白い小さな花をつけますが、なんともいえない良い香りなのだと父はよく言っています。

福来ミカンは、日本の代表的なオレンジだと思います。

 

茨城県は、ミカンの栽培の北限で、リンゴの南限だと聞いたことがあります。

私の主人の実家は、山陰の米子市にありますが、初めて訪れた時、ハッサクがたくさんなっていました。

雪も降るところなのですが、地図で見るとつくば市とほぼ北緯が同じです。

そこで、帰省の際に福来ミカンの苗木を2本持って行って植えさせてもらいました。

数年前からたくさんなるようになり、毎年逆輸入?で送ってもらって食べています。

手入れが良いからか、思い出の味よりずっと甘くて美味しいです。

陳皮は、主人が焼くアルザスのパン、クグロフに入れたり、私が焼く同じくアルザスのクリスマスのパン、シュトーレンやベラヴェッカに入れます。

 

筑波山は気象学的に言うと逆転層の影響で、実家のある標高220m付近は、冬暖かく、夏は涼しい過しやすい所のようです。

父は、筑波山の測候所でも、つくばの高層気象台でも気象観測をしていたのでデータに詳しいようです。

祖父は筑波山神社の宮司をしていたのですが、筑波山神社には「お座替わり」というお祭りがあります。

毎年、4月1日と11月1日に行われるお祭りですが、民間伝承によると「筑波山の神様は、子供にやさしくて、冬は寒かろうと子供を暖かい中腹に住まわせ、夏は暑かろうと山頂の涼しい本殿に住まわせる。」と云います。

「お座替わり」はその住み替えの儀式だと云うのです。

筑波山の集落は近年、そのお祭りのお神輿の担ぎ手が見つからないような限界集落になってしまいました。

小学校も廃校になり、昼間でもイノシシが歩き回る危険もあります。

.11の地震の後は、石垣の崩壊などの被害があり、実家も含めて空き家も目立ちます。

このまま放っておけば、荒廃していくばかりです。

何とかしたいと思わずにはいられません。

 

 

つくばと筑波研究学園都市

 

今年は筑波研究学園都市構想が閣議決定されて50年目を迎えます。

小さい頃山の上から見て何もないように見えたところに学園都市の話が持ち上がり、街を作り始める直前までは、陸の孤島の谷田部の番外地に住んでいました。

小学校には分校が3つあり、5年生になると本校に自転車で通うような所でした。

冬は毎朝霜柱を踏みしめながら通学していました。

中高校生のころは、「星と長靴」の時代で、土地買収が進み、大通りの工事が始まりました。

民家や山林を迂回しながら東大通りがやっとつながった頃、筑波山の実家に帰る度に、山の上から見ていた場所の広さを実感しました。広い大地がありました。

その後大通りは何回も地下ケーブルを入れるのに掘り返されながら出来上がっていき、建物を建てる突貫工事の音を毎日聞きながら研究所や大学が作られていくのを眺めていました。

結婚してからもセンター地区に住み続け、ノバホールの杮落しや科学万博があり、TXも開通し、市役所も研究学園に移りました。

研究学園駅から見る筑波山は、雄大で美しい!

 

 

筑波山とつくば、TSUKUBA

 

TXの開業で筑波山への観光客も増えました。

つくばの研究所めぐりも人気です。

両方にかかわって見てきたものにとって、それぞれ魅力があるのですが、もっと住民レベルで交流ができ、結びつきができればもっと豊かに暮らせるのではないかともどかしい思いがあります。

日本の百名山に名前を連ねる筑波山と日本の頭脳ともいわれる人材を結びつけ生かせたら、もっと豊かに暮らせるのではないかと思います。

日本の頭脳といわれる研究者もさることながら、その家族その奥様方のパワーを侮ることなかれ!

また、古くからつくばに暮らす人々の知恵をあなどることなかれ!

筑波研究学園都市が出現して以来、新旧住民の対立、地域格差、地震や竜巻、様々な問題もありましたが、この50年を機に、福来ミカンの里の筑波山と、研究学園都市つくばの市街地に、皆でオリーブを植え、育てることによって結びつけ、住民同士の交流が盛んにし、平和、繁栄、そして生きる喜びを感じ、次の世代にそのバトンを渡していけたらすばらしいと思います。

 

平和(PEACE)と繁栄(PROSPERITY)は、人がいてこそ、喜び(PLEASURE)を感じることができます。

筑波の自然(NATURE)とつくばの研究学園都市(SCIENCE CITY)も、人がいてこそ、それを結びつけて文化(CULTURE)を育てていけるのではないでしょうか。

フランスとドイツという2つの国家の間で、政治的、文化的、せめぎあいの中、対立ではなく平和的な融合を求め、したたかに生き抜いてきたアルザス人のように故郷を愛し、つくば市民としてのアイデンティティーを持ちたいと思います。

そして、オリーブを通して筑波山と市街地、人と人を結び、よりよい街づくりに参加していきたいと思います。